エンジン全壊

感情に整合性を求めるな

メンヘラは幸福に死ねるか - メンヘラによるメンヘラ生態解説

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3日くらいぶっ続けで精神が危うくなってたので仕事をサボり引きこもり自殺企図と睡眠とツイッターを繰り返していたらついにフォロワー(?)の手によってツイッターを報告され、ツイッター社からの温かいお言葉をいただきました。通算3回目。
いい加減フォロワー達に呆れられるんじゃないか?ついにリムブロ祭りからの飛び降りか?とも思っていたけれど、普段から「メンヘラに触れるな!メンヘラに触れるな!ほっとけ!とりこまれるぞ!大人しく動かなくなるまでほっとけ!」と騒いでいた甲斐もあってか無事フォロワーからリムもブロも食らうことなく、なんとか出勤し上司に怒鳴られ上司に怒鳴られ仕事をし上司に怒鳴られストレスからか晩メシにインドカレーをキメる程度に回復しました。
錯乱ツイートとかもしたけど私は元気です。

さて今回珍しく筆をとったワケですが、精神がゴミクズのようにシワシワとなっている今だからこそ「メンヘラが病んでても触れてはいけない」「メンヘラ(ぼくです)はそれを受け入れねばならない」と私が常日頃から叫んでいる理由をネバネバ解説したかったからです。
カレーを食いながらお話します。

(メンヘラというか7割型私自身の話みたいになっていることをご了承ください。すべてのメンヘラがこうというワケではないです)


古今東西インターネットにはさまざまなメンヘラが蛆虫のように湧いては肥溜めのように死んでいきました。しかしたかがインターネット、数十年程度でメンヘラの生態に大きな変化はありません。
全てのメンヘラは大きく3つに分けられます。
自殺したか、自殺するか、自殺しない(しなかった)か。
自殺したメンヘラ、というと誰を思い浮かべるでしょうか?身近な人からインターネットレジェンドメンヘラまでさまざまでしょう。
しかし生けるメンヘラがこれから自殺するかどうか見分ける方法はありません。本人にも、他者にも。
ですからメンヘラを自覚しているメンヘラというのは常に「早く死にたい」と主張しつつも「いつか本当に死んでしまうのではないか」と怯えて暮らしているのです。

こういう話をすると8割くらいの人間から「なんだ!やっぱり死にたいなんて嘘じゃん!w」という反応が帰ってくるんですが、決してそうじゃないんだな〜〜。
「死にたい」「死にたくない」という感情は全く矛盾しないもの、というか誰にでもあなたにも普通にあるものです。

「あの店の料理はうまい」「でも雰囲気は好きじゃない」
「あのツイッタラーは言ってる事がおかしい」「でも内容は面白い」
「あの漫画家の人格が嫌い」「でも作品は大好き」
みたいな感情、あるでしょう。
「死にたい」「死にたくない」もそんな感じの感情と同じようなノリで同時に起こっています。

じゃあなぜメンヘラはその相反感情がこうも目立つのか。
大半の、いわゆる"フツウ"の人間はそれを「ならす」ということを覚えます。10点満点で表現すると、
「雰囲気はダメ、でも料理は好きだから6点」
「おかしいけど面白いからいいや、9点」
「作品はいいけどやっぱり人格がなあ、2点」
みたいな。
こういう、感情を「ならす」という作業は人は成長するにつれ次第に身につけていきます。
メンヘラにはこれができない。四六時中0点と10点の評価を右往左往する。だからこその不安定さ。
嫌い。好き。つまんない。超楽しい。鬱。躁。憎い。愛してる。今すぐ死にたい。死にたくない。


「メンヘラはどうせ死なない」という言説は実に一般的なものですが、事実としてメンヘラは死にます。いつか死にます。きっと他人より早く死にます。事実として、これまで自死を選んだメンヘラなど捨てるほど居ます。
じゃあなぜメンヘラは死なないなんて言われてしまうのか。そのカラクリがさっき言った「感情をならせない」という部分にあります。
"フツウ"の人は感情をうまくならすことができる故に、身近な人が死んだり、大きな失敗をしたり、そういうことが無いとそこまで大きく落ち込みはしません。
けれどメンヘラは違う。ちょっと怒られたり、ちょっと遅刻したり、ジャムの瓶が開けられなかったり、そういうどーでもいいことで頻繁に酷く落ち込む。「私はゴミクズだ、0点」というふうに。(落ち込みやすい理由はこれだけではないけれど……)
これが所謂「マヂ病みリスカしょ。。」の原理である。彼女らはマジに言っているのですよ。
"フツウ"の人が年に1度やるかどうかという落ち込み方を日常的にしていれば、そりゃあ最初は「本当に死んでしまうのではないか」と思うかもしれないけどそれが2度、3度、何十回も繰り返されれば辟易して「ああこいつはなんだかんだ言って死なないんだな」と思ってしまう。それは間違いではないし、メンヘラの「死にたい」1000回のうち999回は死なないけど、でも最後の1回でとうとう死んでしまう。999回のうちにほとんどの人に呆れられ見捨てられたがゆえに、1000回目で死ぬ。メンヘラはそうやって死にます。

じゃあメンヘラを救う手立てはないのてしょうか?
あります。沢山ある。一人にしない。ギリギリまで寄り添う。見極めのうまい人なら、いつもある程度の距離にいて、本当に落ち込んだときに引き戻す。そうやって、自分が"見捨てない"人間だと納得させるまで永遠に繰り返し続ける。
けれどこれには欠点があるのです。「メッッッチャ大変」という点。
だってメンヘラは二四時間三六五日いつだって突然死にかける。メンヘラから見れば世界が終わるかどうかみたいな理由であったとしても、自分から見ればハナクソみたいな理由で死のうとする。下手に懐かれたら夜中に錯乱電話は来るし本当に見捨てないか確かめる為にヤベー行動に出るし、本当に大変。
理解ができない人間に寄り添うのは大変な苦労を伴う。最悪の場合自分もメンヘラになって一緒に死んでおしまい。難易度ベリーハードとかいう次元じゃない。
だから本当にメンヘラのそばにいたい、一緒にいたいと願うのであれば相当な覚悟が必要になってきます。

……もちろんそういう確固たる意志を持ってメンヘラに接し続けた人もいます。うまく距離感を保ったまま宥めて隙間を埋めて、そういった人のおかげでメンヘラをやめた人間だってたくさんいます。。本当にすごいことですよ。事実、元メンヘラによる記事やブログを見ると9割9分ほぼ確定で現在の恋人や配偶者の類が出てきますし。(暗黒面)

でもうん、やっぱり無理。めんどくせえもんメンヘラなんか。そうだろ。
そういうことをあまり理解せずにメンヘラに手を差し伸べると本当に駄目なことになる。メンヘラはいつでも死にたいけれどやっぱり苦しいのは嫌で、逃れる手を常に求めている。それがどれだけ相手の負担になるか理解していてもその手に縋らざるを得ないのです。
それはメンヘラにとっても"救い手"にとっても地獄でしかない。
メンヘラは嫌われたくない。今まで何回もなされた「見捨てられる」という事を経験したくない、故に縋る。
縋られれば縋られるほど重くなる。



まとまらない話になりましたが、カレーを食べ終わってデザートのアイスが出てきたので無理やりまとめにいきます。

・メンヘラが死ぬかどうかはもはや運であり、死ぬときはあっさりと死ぬ
・メンヘラは0か10でしかものを捉えられないのでクソ
・メンヘラに軽い気持ちで「死なないで」とか言おうものなら引きずり込まれるぞ
・メンヘラはやめとけ

以上!解散!

でもあんまりメンヘラは他人に迷惑をかける……と思いすぎると、好きな人間に迷惑をかけたくない嫌われたくないがために全てを拒否しまくる地獄の自縛ディフェンダーメンヘラになるので気をつけようね。(自己紹介)