エンジン全壊

感情に整合性を求めるな

13歳の私よ、私の描いた漫画が出たぞ - 初サークル参加によせて


──お前の自カプ本を出すから代わりに本を出せ。

仲のいいフォロワーにそう持ちかけられたのが去年の夏だった。
腐オタクは常に自カプに飢えている。365日あたらしい自カプを強欲に求め続けている。
そんな状況下で、ずっとファンでかつ何故か今仲良くしてもらっている神文字書きのフォロワーにそんな取引を持ちかけられたら誰だってはいと言うと思う。
私は持ちかけられるままイベントに申し込みをし、クリップスタジオを1グレード上げ、さあやってやろうじゃないかとペンを取って、そのまま数カ月止まっていた。
もうなんかずっとフリーズしていた。
私が締め切りギリギリまでものに手を付けないダメ人間だという理由もあるけれど、そうじゃなくて。
ただ、頭の中である呪いがハウリングを起こしたから。

私はこの同人誌を出すまで漫画というものを書いたことが一切なかった。
絵を描くのはずっと趣味としてやっていたけれど、漫画を作ったことが本当になかったのだ。
厳密に言えば1ページ漫画程度はらくがきとして作ったことはあったけれど、2ページ以上のものはなかった。1ページ漫画だって私は一枚絵の延長として描いていた。

幼稚園の頃に両親に連れられて入った中古本屋で、平積みにされていた桃色の表紙の漫画を読んでからというものの私の人生には漫画というものが常にどこかにあった。漫画のイラストを書き写したのが生まれて初めて自主的に描いた絵だったように思う。
現代において決して珍しくない事、というかむしろ一般的なことだと思うけれど、漫画というものに人生をだいぶひっくり返されている。吉崎観音先生がカエル型宇宙人の漫画を描いていなければ私は今頃オタクになっていたかどうかも怪しいし、ねこぢる先生が倫理の歪んだ奇っ怪な猫を描いていなければ幼少期の私はきっと今よりもっとおかしな子供になっていた。
くだらない絵しか描いてこなかったけれど、世界に漫画があったから絵を描いていたのだし、世界に物語がなければずっと創造性のない人間に育ったのだろうなと思う。当たり前だけど。
それでも今まで「漫画」というものを書かなかったのは正直に言うとちょっとしたトラウマがずっと頭の片隅に残っていたから。

幼い頃からサブカルチャーとインターネットに触れていたせいか物心がついた頃には私はすでに腐のオタクになっていた。
多くのおえかき腐オタクがそうであるように私もこっっっっっっそりと男二人がくんずほぐれつする絵を描き、誰の目にも触れないよう隠していたのだけれど、13歳のある日、私の部屋を知らない間にあさっていた両親がそれを見つけてしまったことがある。
ここまでならまだ恥ずかしいオタクの黒歴史程度で済むのだけれど、私の両親はそこでは終わらなかった。奴らは自分の実の娘の趣味嗜好を一つずつ取り上げては私をこき下ろし最終的に人格否定を行うというたそうご立派な趣味をお持ちであったのだ。
そんな奴らがBL絵が描かれたノートを見つけて笑って済ませるわけがない。奴らは悪いことにサブカルチャーにそこそこ精通している側の人間(といっても絵を書くイコール漫画、程度の認識しか持っていなかったようだけれど)で同人誌という存在を理解していたことも手伝いそりゃもうものっすごいバカにされた。
父親の持つ大きなPCの横で正座されられた。目の前に私の書いた絵を広げられた。

下手くそ。骨格がおかしい。デッサンがなってない。線の描き方がおかしい。目の大きさが不均衡。頭蓋骨が歪んでいる。手がクリームパン。足が不自然に細い。人の腕はこんなふうに曲がらない。そもそも何を参考にして書いたんだ?言え。検索してみろ。参考にしている絵のチョイスすらセンスがないな。下手くそ。一生上達しない。下手くそ。下手くそ。
こんなものを描いて将来漫画家にでもなるのか?
はたまた同人誌でも出すつもりか?

どちらもお前には無理だ。
お前には、無理。
無理。

思春期に言われた辛い言葉というのは頭の片隅に残り続けるもので、この言葉ももうずっと脳みそに抱えていたものになる。実際この言葉がハウリングして、美術系を学ぼうとする事を家を出るまで私は一切することができなかった。そして、漫画を書くことも避け続けていた。
……正直、こんな状況下でそれでもこっそり絵を描き続けたあの頃の私は本当に偉かったと思う。絵を描いて、描いて、描いては親に見つからないようわざわざ学校に持っていって捨てて、あるときは燃やして、途中からは開き直って捨てることもせず、それだけ絵を描くことが楽しかった。上達は全然しなかったけれど。
でも、やっぱり漫画はずっと描けなかった。
描こうとしたこともある。A4の紙を8つに折って真ん中を切って豆本を作ってそこに漫画を書こうとして、やっぱり手が止まった。

……今は親元から離れて年単位で時間が経ったのでそこまででもなくなったけれど、それでも私には決定的に「漫画を書く」という経験が欠けていた。
最初は誰だってそうなのはわかっていたし、フォロワーたちからたくさんアドバイスを貰ってどうにかそれを補おうともしたけど、物語を作って絵にするということが本当に難しかった。

脱稿してイベントに行って頒布してたくさん手にとって貰えて、1連の流れを終えた今だから書けることだけど。本当にイベント参加を辞退しようかなとさえ考えていた。
それだけ怖かった。漫画と向き合うのが。
怖かった。怖かった。本当に怖かった。
無理だと言う言葉を反芻し続けた概念と向き合うのが、何より怖かった。
無理という呪いを何度もはねのけようとして結局だめで、私には漫画なんてずっとかけないままで、私のスペースには念の為に作ったシールがひとつ乗って終わりになるんだろうと思った。

それでも、今私の手元には私の描いた漫画本がある。
何度見返しても直視できないほど拙いし読みにくいし絵もあんまりうまくないし、いや、頒布したものにこんなにネガティブな言葉を吐きたくはないけど本当に今もまともに中身が見れない。
でも嬉しい。
マジで嬉しい。
漫画を書き上げることができたというそれ自体も嬉しいけれど、本当に何より嬉しいのがそれを手にとってくれる人達がたくさんいたこと。

楽しみにしてたんだ〜とスペースに来てくれたフォロワーがいた。
通販してねと言ってくれたフォロワーがいた。
取り置きサービスを利用してくれた人がいた。
スペースの前を素通りしようとして、私の同人誌を見て止まって、くださいと言ってくれた人がいた。
サンプルを手にとって数ページ見てすぐに閉じて1冊お願いしますと言ってくれた人がいた。

私は漫画を書くことができた。
読んでくれた人がいて、はじめてそれを実感できた。
身内オタクのフォロワーが何人か手にとってくれたらそれだけでいいなと思っていた部数が想像よりずっとはやくなくなって。
割と本気で燃やそうかと思っていた在庫が余裕で半分以下になって。
新刊300円になります、と言うたびに泣きそうになるのをずっと堪えていた。
本当にめちゃくちゃ嬉しかった。
知らなかった。

私は漫画を描けたんだ。

何はともあれ本当に楽しかったしうれしかったし感無量だった。
イベントのあとで食った肉は最高にうまかった。神絵師は肉を食うから絵がうまいのではなく絵がうまいから肉を食うのだと悟った。
マジでストーリーもへったくれもあるのかどうか怪しいような、人を選びまくるであろう本を手にとってくださった方々、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで超個人的な呪いが一つ終わった気がします。マジでありがとうございました。ありがとうございました。よかったらなんでもいいので感想くださいね。(乞食)
あと誘ってくれたフォロワー、励ましてくれたフォロワー、アドバイスくれたフォロワー、ありがとう。愛してるぞ。

また、漫画、描きたいなあ。