死ぬまで心に嘘はつき通せるか - アディショナルメモリー雑感
※ これを書いたヒトはメカクシティアクターズで心が折れて楽曲編以外を追わなくなったオタクです。なのでここに書くことは全て的外れな可能性が高いです。外部展開と矛盾があってもそういうものなので許して下さい。
楯山アヤノが苦手だった。
じん / アヤノの幸福理論【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
それは彼女があんまりにも「できた少女」だったから。
義理の弟妹のためにあらゆることをし、社会不適合な友人たちに寄り添い、いつもふんわりと隣の席で微笑んでいる、黒髪で、赤色の似合う、ありふれていて非の打ち所のない少女。
何の罪も無いのに理不尽の渦中に突き落とされ、自分の幸福をあきらめ、高校生にして自ら命を断った少女。
あまりにできすぎていて、何一つ共感できるモノがなかった。
ほとんどの登場人物が何かしらの葛藤や自己矛盾、くらいものを抱えているこの作品群において彼女だけはうつくしいものとして描写されていた。と思う。
それが苦手だった。
ストーリーと主人公の根幹に関わるキャラクターということで彼女には要所要所でおおきな出番があったけれど、彼女が出てくるたびにモヤモヤしていた。
自分がクソ人間だから彼女の心情に共感できなかったのでは?といわれると何も返せないのだけれど、もし自分が「お前が死ねばお前が愛する人間たちは幸福に生きられる」と言われて「じゃあ死にます、ごめんね」とさっくり死ねる人間なんて居るんだろうか。
本当になにひとつ理解できなくて苦手だった。
数日前、アディショナルメモリーが投稿されるまで。
じん−アディショナルメモリー / JIN−Additional Memory
私がずっと考えていた「自分の幸福を諦めて他人を思える人間なんて現実みがない」という事は、そもそも彼女の根幹について最初からから間違えていたのだろうと思う。
なんだ。彼女は幸福を諦められてなんかいやしなかったんじゃないか。
"幸福理論"や"ロスタイムメモリー"での言葉はすべてひっそりと嘘や未練がふくまれていたんじゃないか。そういうことか。
自殺というのは到底簡単な行為ではない。ヒトはすべての夢とか希望とかそういうものを諦めることでしか死を選べない。
好きなヒトも好きなモノもたくさんあって幸福な未来のことも信じていた彼女であれば、なおさらそれは困難をのきわめただろうと思う。
それでも使命感と他者を想う気持ちでひとつずつ諦めていって、そうやって最後に彼女に残ったものが如月シンタローだった。
当たり前だ。
少女が少女である限り、少女に恋を諦めきることなんてできはしない。
彼女は少女であるがゆえに恋を捨てきることができなかった。(んじゃないかな)(多分)
だから彼女はその自分の心を「嘘」だということにした。
「また明日」なんてさ 言いたくなかったな
拭えない涙も 言葉も 嘘 嘘
嘘だと定義して押し殺したことで彼女の準備は完了した。
けれど嘘であとうと感情は死なない。
だから、アディショナルメモリーは死にゆく恋心の歌だ。
屋上から落ちて地面に衝突するまでの、「嘘」というカラで押し込めた感情がそれを突き破って噴出するたった数秒間の歌だ。
楯山アヤノは人間だった。
友達なんかに なりたくなかったな
友達なんかで 終わりたくなかったな
「アディショナル」って「追加された」「補足的な」って意味合いらしいね。
カゲロウプロジェクトの世界において彼女の慟哭は補足的な、おまけみたいなものでしかない。
結局あの子は死の瞬間に嘘を崩壊させてしまったけれど、けれどそれによって何か生まれるわけではない。死人に口なし。視聴者側に開示された彼女の数秒間は、物語の登場人物には知られないまま終わる。
遣り切れない、いなくなったものの歌。
死んだものは帰ってこない。彼女と一緒に死んでしまった、世界からすればちっぽけな取るに足らない恋心も、帰ってはこない。
アディショナルメモリー、ずるい曲だった。
何が言いたいかわからなくなったのでおしまい。
(前作の失想ワアドからの落差がすごすぎてび~~~~~~っくらこいた(これからの楽曲は「リロード」の盤名通り未来の曲が多くなるんじゃないかと思ってた)。
けれど考えてみれば当たり前のことなんだよな。
木戸つぼみは生きている。生きていく。だからリロードができる。
楯山文乃は死んだ。恋心と一緒に死んだ。だからどこにも行けない。
二代目団長は仲間から花を手渡される。
初代団長は一人花の中で佇む。
ウオ~~~~~~~~~~対比がずるいぜ。)